金昌宏の散歩ブログ

ファッションデザイナー金昌宏が趣味で続ける散歩にまつわる話題をつづっています

プロフィール”デザイナー①”

思春期に出会ったもの

思春期に一番影響を受けたのは、小学校から読み始めたSF小説と音楽です。SF小説は時間旅行・宇宙物・超能力等あらゆる可能性を追求したテーマが多く、年間100冊は読んでいました。音楽は、やはり同時期の小学校の頃から聞き始め、フォーク・ロック・ジャズと次第に難しいスタイルに嵌まって行きました。当然自分でもバンドを組んで、友人たちとあちこちでLIVEを楽しんでいました。今考えれば、日本に無かった欧米文化をこの2つから学んだのだと思います。団塊の世代に比べれば、いくらか咀嚼されていましたが、カッコイイ物は全て欧米から輸入された時代です。ファッションはジーンズベースのカジュアルスタイルで、雑誌の「ポパイ」・「ホットドック」などが取材してくる海外のスタイルがお手本でした。高校生の頃はバブル時代末期、一番華やかだった六本木・赤坂のCafeやディスコにもよく遊びに行ったものです。

モノ作りの仕事

進路を決める時期に考えのベースにあったのは、未来を創る仕事をしたいというのと、スーツを着たサラリーマンにはなりたくないということでした。熟慮の結果マンモス大学の建築科に進みました。2年ほど在籍しましたが、正直数学が苦手だったり就職しても一般企業でサラリーマンをするしか無いということがわかり、道を変えることにしました。当時色々な出会いがあり、ファッションデザイナーを目指し、新宿の専門学校に移ると、取り巻く世界が変わりました。それまでは、理論と計算がベースでしたが、そこからは感性と感覚を磨く必要がありました。一番大変だったのが、縫い物です。針やミシンを殆ど触ったことがないのに、毎月のようにでる縫製課題はこなすのに苦労しました。卒業して最初に入社したのは、国内の大手ジーンズメーカーのデザインルームです。研修で半年程地方の縫製工場に行きました。工場では生地の裁断と縫製の生産管理を学びました。今でもこの縫製工場での経験が役に立っています。1年後先輩からの誘いで、大手アパレル企業にデザイナーとして移り、メンズカジュアルの企画とデザインを10年ほど担当しました。繊維商社の新規プロジェクトにヘッドハンティングされ、ブランドの立ち上げから安定するまでチーフとして3年仕事をしました。この時知り合った仲間と会社を作り独立することになりました。最初の5年ほどは、紹介された中国の協力工場を使い、大手アパレルに企画提案から商品まで提供するOEM事業を中心に業務を行っていましたが、大量の不良品問題が発覚し業務を縮小しました。現在はアパレルや繊維商社からの依頼で、ファッション企画・デザインやグラフィックデザインブランディングやショップディスプレイなどを生業にしています。