金昌宏の散歩ブログ

ファッションデザイナー金昌宏が趣味で続ける散歩にまつわる話題をつづっています

白金高輪~魚籃坂~泉岳寺

白金高輪~魚籃坂

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今日は白金高輪駅周辺をまわって、魚籃坂から泉岳寺まで散歩したいと思います。東京メトロ白金高輪駅を出た所は桜田通り、ガソリンスタンド横の道を入ると「冬嶺座」と 書かれた立派な山門があり、浄土教の一宗派である時宗の寺「松秀寺」です。残念ながら門は閉じられていました。その先を左折したところにあるのが「智光山 立行寺」、 山門の前には「史跡 大久保彦左衛門墓」の碑が立っています。ここの境内には小説・戯曲・講談などに登場する大久保彦左衛門の墓と一心太助の碑があります。少し戻って また道沿いに行くと、路地の入り口に「臨済宗 重秀寺」の看板。左手の墓地を見ながら路地を入って行くと突き当りに「重秀寺」があります。江國紹巴禅師という方を招い て1626年に六本木3丁目あたりに草庵を結び、旗本上田重秀公の菩提寺としたのが始まりという古刹です。境内に斎場があり墓地スペースが多いためか、ちょっと気が重めな 感じです。一般参加出来る禅修行や茶会があるそうです。通りに戻ってすぐ隣りにあるのが「白金 氷川神社」です。日本武尊が東征の折に大宮氷川神社を遥拝した当地に、 白鳳時代に創建されたと伝えられます。ご祭神は素盞嗚尊・日本武尊・櫛稲田姫です。鳥居をくぐり参道に入ると広々していて、正面が本殿、右側には衣食住守護の稲荷社、 左側にはご祭神が後醍醐天皇護良親王楠木正成建武神社がありました。隣なのにこちらの境内の気は透明感があります。今回は寄りませんでしたが、他にも「専心寺」 「西光寺」があります。何故かこの一角には神社仏閣が密集していますね。周辺は都内でも有数の高級住宅街。かつては、米沢藩上杉弾正少弼家や、石見濱田藩松平家・松平 阿波守・松平讃岐守・松平和泉守といった親藩大名家の屋敷があった場所で、明和の大火や東京大空襲で焼けてしまい再建された地域です。

高輪 魚籃寺~伊皿子坂

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桜田通りから魚籃坂に向いました。魚籃坂下交差点を右折して坂をのぼり始めると、すぐにスーパーマーケットの「ピーコック」があります。また暫く上がった所に地名にも なった「魚籃寺」の赤い山門が見えてきました。「魚籃寺」は、三田山水月魚籃寺という浄土宗寺院で1652年に、この地に観音堂が建立され、豊前中津の円応寺から本尊で ある魚籃観世音菩薩像を移した事が寺の由緒とされています。魚籃観音のご利益は、特に漁業関係者にとっては大漁祈願ですが、商売繁盛や厄除としても知られています。江 戸時代には海側の第一京浜辺りは海で、たくさんの西国大名の上屋敷や中屋敷があったそうですから、大事にされたのでしょう。本堂は簡素な感じのする木造の建物で、向拝 の両脇に別屋根の室を設け、向拝の側面が吹き抜いてない珍しい造りになっています。千社札が貼られ汚くなってしまった軒下には、増上寺大僧正の筆による「魚籃観世音菩 薩」と書かれた扁額が掲げられています。本堂前には石像の薬師如来坐像、本堂手前右側には「亀石」と並んで、塩地蔵尊像が立っていました。裏の港区立御田小学校を中心 に、徳玄寺・寳徳寺・清久寺・南臺寺・玉鳳寺・正覚院・常教寺・正山寺・薬王寺が囲んでいます。参拝を済ませ、坂を登り切った交差点の向こうは下りの「伊皿子坂」。由来は、明国人「伊皿子」(いんべいす)が住んでいたと伝えられてます。坂を下って、泉岳寺駅から帰りました。

[目的地]魚籃寺

[URL]http://loco.yahoo.co.jp/place/g-5aUMTKWVRW2/

[住所]東京都港区三田4-8-34