金昌宏の散歩ブログ

ファッションデザイナー金昌宏が趣味で続ける散歩にまつわる話題をつづっています

品川区”不動前~長應寺~武蔵小山”

品川区 不動前~専修寺

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不動前にやって来ました。ジーンズ型紙の修正です。普通の洋服の型紙と違い、ジーンズの場合は洗って縮み、穿いた人の体型に合ってきます。使用するデニム生地によっ て縦横の宿率が変わるため、元の型紙はそれに合わせて大きく作ります。今回も以前作った型紙のストーンウォッシュ後サンプルが出来上がってきたので、修正を指示しまし た。打合せを終えて東京急行電鉄目黒線不動前駅に戻りました。少し遠回りして武蔵小山駅に歩く事にしました。駅を南側にでて線路沿いを武蔵小山に向かって緩やかな坂を のぼって行くと、攻玉社学園という学校があります。裏に運動場はあるのでしょうが、緑が無く大きい校舎は会社のようでちょっと可哀想。西霧ガ谷公園を左折してしばらく 歩くと、左手に大きい施設が見えてきました、「桐ヶ谷斎場」です。「桐ヶ谷斎場」は、三代将軍徳川家光の時代に芝三田の長松寺の荼毘所を当地の霊源寺に移したのが始まりで、明治18年に寺と分離し、昭和4年に博善社の経営に革って現在にいたるそうです。向いは江戸時代初期に林譽霊源和尚が創立したという、阿弥陀如来が本尊の浄土宗「 霊源寺」です。手前の細い路地を入って行くと小さい中原公園、隣は曹洞宗の「桐ケ谷寺」があり、向いの立派な門は浄土宗一行山「専修寺」。「専修寺」は1559年青山に創建→1591年赤坂堀端→1625年には赤坂一ツ木→明治40年に桐ヶ谷へと移転してきたそうで、山門も本堂も木の香りもかぐわしい真新しい雰囲気です。境内には法然(圓光大 師)霊場の石塔が置かれています。

品川区 長應寺~武蔵小山

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専修寺」を出て、そのまま細い道を歩いて行くと、左右の壁の向こうは墓地のようです。右手の壁が突然途切れて立派な山門がみえました。芳荷山「長應寺」という法華宗 陣門流のお寺です。「長應寺」も数奇な運命を辿っている。開山は1479年、三河国宝飯郡上ノ郷城主・鵜殿藤太郎長将の寄進によるといい、1562年に兵火によって焼失、その 後鵜殿永忠の養女おとくの方が徳川家康の側室となったことで、日比谷門内に再興され、下谷竹町、八丁堀、そして芝伊皿子と移転したが、1635年丸山本妙寺に続いて日蓮門 下勝劣派の触頭となった。丸山本妙寺は、今は巣鴨にある寺である。明治維新で寺は衰微してしまい、明治30年に移民の数を増していた開拓の地、北海道へと移転を決意し、 明治37年に移転してしまった。この北海道の長應寺のその後も、波乱に富んだ物語になっているが、今も幌延の地に根付いている。伊皿子に残された塔頭の蓮長院住職は、残 った三ヶ院と牛込の連光寺を合併し、現在地へと明治39年に移転して来た。檀家の墓や長應寺の墓碑や仏像もこちらに引き継がれたので、「長應寺」と呼ばれ続ける事になり 、連光寺を一度は名乗ったものの、「長應寺」を名乗れるようになったそうだ。がらんと広い境内には、本堂と庫裏があるが山門に比べると新しい。道に戻って広い通りにで たところが星薬科大学、右折して暫く行くと「京極稲荷神社」。道沿いに商店が増えてきて武蔵小山のはずれにいることを感じさせます。長い駐輪場は地下に潜った東京急行電鉄目黒線の線路跡、左折するとすっかりきれいになった武蔵小山駅に到着しました。

[目的地]長應寺

[URL]http://www.tesshow.jp/shinagawa/temple_koyama_choo.html

[住所]品川区小山1-4-15