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金昌宏の散歩ブログ

ファッションデザイナー金昌宏が趣味で続ける散歩にまつわる話題をつづっています

”高輪 泉岳寺”

高輪

高輪旧東海道

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高輪のホテルで打合せをしました。中国で作製した秋冬の製品サンプルを確認に集まったのですが、残念なことに指示通りに出来上がっていないものが何点かありました。今回の企画は大手メーカーからのOEMで、私は製品商社に依頼されてデザインとデュレクションを承っています。ファッションデザイナーといっても、洋服の絵を描いているの はホンの一部で、生地の選択・ボタンなどの付属品の指定・縫製指示書・サンプル指示等など仕事は山積みです。サンプルの出来上がりが間違っていると、修正作業で私の負 担が増えるためか、担当である生産会社の専務さんから「切腹最中」をいただきました。「切腹最中」と言うはトラブルの際、詫びの手持ち菓子としてサラリーマンの間で有名だそうです。品名通り切腹して詫びるという意味でしょう。「切腹最中」を作っているのは、浅野内匠頭切腹した大名屋敷あと地にある、老舗の和菓子店新橋”新正堂 ”で、店内は忠臣蔵グッツが沢山あるということです。忠臣蔵は何度もみていますが、”高輪 泉岳寺”に47士の墓があると知りませんでした。専務さんと忠臣蔵の話題で盛り上がり、色々教えていただいたので、帰りに寄ってみることにしました。品川駅高輪口から第一京浜日本橋方面に向かいます。第一京浜は昔の東海道で、江戸時代はこの道を通って西に旅をしたのです。片道3車線の通りは交通量が多く、道の左右はビル街で昔の風情は感じられません。

高輪にあった赤穂義士

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しばらく東海道を遡ると、泉岳寺への案内板が見えてきました。稲荷神社と都営浅草線泉岳寺駅のT字路を左折すると、突き当りが曹洞宗の寺院”泉岳寺”です。”泉岳寺” は1612年に徳川家康が外桜田に門庵宗関を招いて創建。寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で現在の高輪の地で再建しました。道沿いに抜けると魚籃坂に繋がるのですが 、それはまた今度。泉岳寺の入口のすぐ左手には古ぼけた石碑が建っています。正面の中門は、1836年に再建された門で、上部の「萬松山」の額は清の禅僧・為霖道霈による 書です。中門をくぐると右手にお土産やがあり正面に立派な山門。ここに大野約庵の書による「泉岳寺」の額、右手には大石内蔵助像が建ってます。奥には鎌倉様式の泉岳寺 本堂、左手に建つ建物は講堂(2階に義士木像館)、その左の参道先に四十七士墓所があります。「水琴窟」「瑶池松」「血染の石」「血染の松」「首洗い井戸」などを見て 、階段を上がると赤穂藩主・浅野内匠頭夫妻、そして四十七士の墓。これまでの間、忠臣蔵として数々の本・舞台・映画などで脚色され、意識の中では伝説と化していました が、墓を前にすると不思議なリアリティがあります。命を懸けて主君の仇を討つという行為は、武士のあり方の根幹であり武士道に適う美談として日本人の中に残っています。境内をゆっくり散策してから帰りました。

[目的地]”高輪 泉岳寺

[URL]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E5%B2%B3%E5%AF%BA

[住所] 東京都港区高輪二丁目11番1号

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